布団

妖精に乳首はねえ

本宮ひろ志に性を教わった男の最近

竹は近づいて群像として見ると荻原朔太郎が余すところなく詠み描いたように力強く、太く青々とした、びゅうびゅうとした幹をその身の一番としています。夜の竹林は恐ろしい、ふと足を止めて空を見上げると背の高い幹たちが覆い被さってくる。しかしいざ、一本一本を取り出してぼんやりと眺めてみると、その自慢の幹にはあまり目は止まらず、幹から細く分かれた枝にピントが合います。一本一本を見ると、あれだけ威勢のよかった竹も頼りなく映り、綺麗に食べ終えた焼き魚のようで、つまらなくはありながらも竹林として見るよりも少し可愛らしい思いで、眺めることができます。



この間はキリスト教の教会の裏手にある山を登った。とはいえ整備された山などでは全くなく、教会の牧師先生が50年前に無理矢理道を切り開き、祈りの小屋を建てるために作った半ば獣道のような道で、急勾配のつづら折れが果てしなく続く。牧師先生は10年ほど前に引退なさり、その息子がそのあとを継いだそうだが、その息子は道を切り開く途中倒れる木に敷かれて他界された。延々と続く道はそれでもいつしか終着につき、200メートルほどは登ったか、切り開かれた道は途切れ、少し開けた所には黄色の大きな十字架がある。息子さんが亡くなる直前に建てたのだそうで、そこにしんと立ち尽くす十字架に人は何を思うか、例え事情を知らずとも、例え宗教が違っても、見る人に大きな情熱を感じさせずにはいられない不思議な土地で、山のなかに隠されたその地で確かな満足を得て戻る急勾配は、来たときよりもずっと短かった。



先日はまた、北海道にも行きました。まだ雪は残っていて、コロコロと変わる天候に悩まされながらも楽しく美味しく北海道を堪能しました。曇り空の下、どこまでも真っ白な雪原を見て、はてどこかで似たものを見たなと考え込むと、飛行機が雲の層と層の間にいるときの窓の景色にそっくりで、境目がなくなり一切が起伏のある白と映る様は大変美しい、空も雪国も似たような様子であるのは大変面白く、雪国の鳥は曇り空の日はきっと困ってしまうに違いないとか、そんな風なことを思った。



まっとうな日記を台無しにするようですが、私の性に初めて出会ったときの話です。お待たせしました。
子どもの頃通っていた教会には印刷室という部屋があり、部屋の中には妖怪人間ベムこち亀の初期といった古い漫画がたくさん置いてあったのだが、それらの漫画のなかに「天地を喰らう」もあった。三国志をベースに神や地獄の鬼がハチャメチャに暴れまわる最高にクールな本宮ひろ志氏の作品なのだが(ピンと来ない方も「サラリーマン金太郎」はご存じだろう)、その中で普通の人間の十倍ほどの背丈もある大男の董卓が何人もの女性に己の体を舐めさせるという酒池肉林エピソードがあり、教会という場所に不釣り合いなそのエピソード、漫画は私の頭をガツンと殴った。別に今私はそういうペロペロ大好き魔人というわけではないので、真っ当に育ててくれた両親に感謝する他ない。他に本宮ひろ志に性を教わった人間がいましたら、ご一報ください。
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