布団

妖精に乳首はねえ

氷柱のように美しいものに憧れて

言葉は、少なくとも日本語は、豊かにその全てを述べるよりも、際限なく只管に鋭く細くなるように削っていく方が美しく、不要を排除し必要までも削減し続ける先に残った結晶こそが美しく、そうして言葉を並べたものの中から文章が生まれるということです。不要と必要を削ってもなおその言葉がきちんと観測された世界を他者へと伝えるためには莫大な語彙の土壌が必要で、つまりは豊かな言葉を持ちながらもそれをおくびにも出さず一つ一つ切り捨てることが肝要で私のような凡人には無限に広がる語彙もそれを隠す美徳もないのでこうして無用で冗長なくだらない文字列を書いているということになります。才の乏しい人間はどうして才の乏しいことを知りながら、あるいは才のないことを知らずに、それでも斯様に醜い文字列をこの世に生み出すかというと、人間の魂にそのように、己の心中を何らかの形で表すようにと刻まれているからで、古来よりありとあらゆる人間が音楽や言葉、舞踊を発さずにはいられなかった。幸せで悲しい生き物です。こうして才の無い悲しい生き物たちは魂に刻まれた苦役のために日夜苦しみ、そして幸せになります。一滴も入っていない才の器と己の産物の醜さを自覚しても、また新たに生み出した産物の全体像を客観的に見るその瞬間まではなんと優れたものが生まれる予感のすることか。今度こそ己の才の泉を発掘したのだという幸福な観測。今の私は全くその通りの気持ちで、ああこの至福の時の後に必ず訪れる惨めな気持ちよ。そしてそれでもこの醜い文字列を人に見せてしまう己の美徳の欠如、下卑た心よ。そういう風にして我々才の無い人間は生きているんですね。