布団

妖精に乳首はねえ

太陽の下、月の下

寝て、起きたら、体重が1kgも増えていた。さすがに笑ってしまって、とうとう私の体は質量保存の法則に囚われない体になったのか、それとも夢遊病患者になって必死に米でも食べたのか。夢遊病というファンシーな名称からは程遠い眠り動くゾンビは、いや、動き眠るゾンビか、まあどうだっていいけど、きっと彼は太陽が昇っている間に自分が我慢したことを月の昇っているうちにするんでしょうね。昔から月と狂気は一つのものでした。

 

 

 

東京とかいう、日本で一番人間の多い街に行ってきました。人間が多い街で一番初めに見かけた人間は、携帯電話に向かって「こっちが右!!!!!」と気の狂ったような大声で叫ぶババアでしたので、ハハーン人間の多い街で人間は皆狂ってしまったのだなと思いました。先日は大阪のコンビニのイートインで歯が全て抜けたジジイと会話していたとき、割れたスマートフォンの画面を見せたとたんに「殺すぞ」と言われたので、どこにでも狂った人間はいる。人間という母数が多いから狂った人間も増えるのか、それとも人間が多いことによって人間が狂うのか。

 

 

 

東京では浅草で延々と酒を飲んでいたせいでほとんど何も覚えていないけど、夜も遅くにせっかくなので浅草寺を見に行って、仁王像の阿形の乳首がめちゃくちゃデカいと笑っていたらしい。観光なんて案外こんなものでいいのだろう。

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 突起の度合いがものすごい。

 

 

 

 

そういえば最近尻の穴がとにかく痛い、辛いものを食べ過ぎた翌日のような痛みが続くのだと友達に言うと、東京の安宿で襲われたのではないか、お前はその辛すぎる記憶を消しているだけだ、という回答が帰ってきた、もしかすると夢遊病の性豪が東京にはいるのかもしれない。私はその被害者なのかもしれない。太陽の下で相手を見つけられなかった性に猛るゾンビは今夜も月の下で眠りながら彷徨っているのかもしれない。

本宮ひろ志に性を教わった男の最近

竹は近づいて群像として見ると荻原朔太郎が余すところなく詠み描いたように力強く、太く青々とした、びゅうびゅうとした幹をその身の一番としています。夜の竹林は恐ろしい、ふと足を止めて空を見上げると背の高い幹たちが覆い被さってくる。しかしいざ、一本一本を取り出してぼんやりと眺めてみると、その自慢の幹にはあまり目は止まらず、幹から細く分かれた枝にピントが合います。一本一本を見ると、あれだけ威勢のよかった竹も頼りなく映り、綺麗に食べ終えた焼き魚のようで、つまらなくはありながらも竹林として見るよりも少し可愛らしい思いで、眺めることができます。



この間はキリスト教の教会の裏手にある山を登った。とはいえ整備された山などでは全くなく、教会の牧師先生が50年前に無理矢理道を切り開き、祈りの小屋を建てるために作った半ば獣道のような道で、急勾配のつづら折れが果てしなく続く。牧師先生は10年ほど前に引退なさり、その息子がそのあとを継いだそうだが、その息子は道を切り開く途中倒れる木に敷かれて他界された。延々と続く道はそれでもいつしか終着につき、200メートルほどは登ったか、切り開かれた道は途切れ、少し開けた所には黄色の大きな十字架がある。息子さんが亡くなる直前に建てたのだそうで、そこにしんと立ち尽くす十字架に人は何を思うか、例え事情を知らずとも、例え宗教が違っても、見る人に大きな情熱を感じさせずにはいられない不思議な土地で、山のなかに隠されたその地で確かな満足を得て戻る急勾配は、来たときよりもずっと短かった。



先日はまた、北海道にも行きました。まだ雪は残っていて、コロコロと変わる天候に悩まされながらも楽しく美味しく北海道を堪能しました。曇り空の下、どこまでも真っ白な雪原を見て、はてどこかで似たものを見たなと考え込むと、飛行機が雲の層と層の間にいるときの窓の景色にそっくりで、境目がなくなり一切が起伏のある白と映る様は大変美しい、空も雪国も似たような様子であるのは大変面白く、雪国の鳥は曇り空の日はきっと困ってしまうに違いないとか、そんな風なことを思った。



まっとうな日記を台無しにするようですが、私の性に初めて出会ったときの話です。お待たせしました。
子どもの頃通っていた教会には印刷室という部屋があり、部屋の中には妖怪人間ベムこち亀の初期といった古い漫画がたくさん置いてあったのだが、それらの漫画のなかに「天地を喰らう」もあった。三国志をベースに神や地獄の鬼がハチャメチャに暴れまわる最高にクールな本宮ひろ志氏の作品なのだが(ピンと来ない方も「サラリーマン金太郎」はご存じだろう)、その中で普通の人間の十倍ほどの背丈もある大男の董卓が何人もの女性に己の体を舐めさせるという酒池肉林エピソードがあり、教会という場所に不釣り合いなそのエピソード、漫画は私の頭をガツンと殴った。別に今私はそういうペロペロ大好き魔人というわけではないので、真っ当に育ててくれた両親に感謝する他ない。他に本宮ひろ志に性を教わった人間がいましたら、ご一報ください。
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破裂する牛と、お菓子のランドセル

先日から読み進めていたスコットランド民話集がどれもあまりにもひどくて、物語の大筋と全くかかわりのない農家や牛なんかがお腹を破裂させて死んだり脛をへし折られたりと悲惨な目に合い、しかもその後一切言及されず野垂れ死ぬのはいったい何故なのか、こんな話を聞いてスコットランドチルドレンはけらけら笑うのかと思うとスコットランド人の思想は何とも暴力に根差したものなのかと思われ、人種の壁というのは即ち文化の壁、哲学の壁でもありそれはとても厚い。相手が何を言っているかわからないけど少しおもしろいことを言ったような顔をしているときには「哲学ですねえ」と言っておけばたいていうまくごまかせるもので、そんなふうに哲学という言葉を用いる私は、せっかく人間に与えられ人間を人間にしてくれる思考という武器を放棄した大変薄っぺらな肉の塊です。しゃぶしゃぶです。私はしゃぶしゃぶ屋で働いていますが、先日お偉いさんが宴会をしたときは大変ひどかった、しゃぶしゃぶ屋で力士に口内射精の物真似をさせないでほしい。最近お店で聞いた一番良かった話は、接待麻雀で相手から役満を上がってしまい、しかもあまりに嬉しくて万歳と叫び左遷された阿呆。

 

 

 

 

 

誕生日プレゼントにお菓子でできたランドセルを頂きました。まるで童話のような響きをもつそれは、思いのほか身体にしっくりときて、しっくりときすぎて、少し腕を動かそうものならクッピーラムネでできた肩ベルトが弾けそうになります。ランドセルの中には製作途中で食べてしまったのであろうお菓子の包装ゴミが入っていて、諸行無常などを感じます。そんなわけで誕生日を迎えましたが、生まれてこれまで人間として生きてきたのにいまだに人間として生きるコツはさっぱり掴めずにいます。哲学ですねえ。

笑顔で生きる

知人のおばさんがいつの間にか少しスピリチュアルな雰囲気のする動物福祉団体に所属していて、動物の命の尊さや毛皮として利用するために乱獲することに対して何らかのメッセージを発信している。最近はどうやら若い人々を団体に引き込みたいらしくいくつかのイベントを開催するようなのだけど、その目玉としてシャボン玉を撒き散らしながら動物の脈拍に合わせてダンスをするバブルディスコなるものをやる予定らしい。フロアをアゲていくためにモルモットなどの小動物の脈拍を使ったり音圧を重視してゾウの脈拍を使ったりするDJがいるということだろうか。失礼ながら60才くらいの知人女性がゾウの脈拍で腰をくねらせるのは一度見ると一生の宝になる気がするので参加を検討しているところだ。落ち込んだ時に思い出したい。落ち込んだ時に思い出したい宝物情報としてはアジャコングが高所恐怖症な事、地下デスマッチプロレスで火をつけた机に相手を叩きつけようとして間違って自分が飛び込んでしまったVampiroなどです。

 

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アジャコングのやさしい素顔を思い出すだけでも笑顔になれる、ありがとうアジャコング。

昔、メンヘラと男色おじさんがいて

実にありがちでつまらない与太話の一つとして受け取ってもらいたいのだが、2年ほど前に幽霊のようなものと遭遇した。ようなもの、と歯切れの悪いのは確信が持てないからです。私はアパートで独り暮らしをしていて、用事を済ませて家に昼過ぎに帰ってくると隣の部屋のドアが開いていて、中をちらりと覗くとカーテンを閉め切った部屋で髪の長い女性が体操座りで座っていた。体操座りや三角座り、体育座りなど色々な呼び方がありますね。その後3時間ほどしただろうか、もう一度私が部屋を出るときも全く同じ態勢で微動だにしておらず、あらまあ俗に言うメンヘラってこういう人のことなのかしらんと、家を出た。その後大家さんと話をしていると、件の私の隣の部屋には入居者はいないとのことです。しかしよくよく考えてみればあれが幽霊でいてくれた方がまだましで、もしあれが生身の人間だった時の方がもっと怖い。うちのアパートにはオートロックがあるので。ちなみに先日隣の家に女性が引っ越してきたのだけど、あいさつをしても全くこちらを見もしないのでこれはこれで困っている。隣人として良いのは幽霊とメンヘラどちらか。

 

 

 

 

うちのアパートの大家さんはとても良い初老の男性で、昼時に会えばご飯に連れていってくれるし、鏡を割ってしまってもすぐにただで代わりの鏡をくれるし、鏡をくれるついでに桃とブドウもくれる。ただより高いものはないので最近は大家さんの親切が何だか緊張感のあるものに思えて、もしも大家さんに男色の気があったら断りきれないような気がする。受けた恩義は何とかして返さないといけない。でも断る。

 

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マイノリティにも日の光が当たり始めたこのご時世、男色の気がある人間が存在するのは認めるけど正直な気持ち私には関わらないでほしくて、高校生の時に学校から駅まで歩いて帰っていたら30代くらいのおじさんに県庁までの道を尋ねられたので駅に行く道の途中にあるしということで一緒に10分ほどおしゃべりしながら帰ったことがある。最初は学校のことや所属している運動部のことを話していたのだけど、バイトはやっていないのかと聞かれ部活で忙しくてやってませんと答えると、私の裸をビデオで撮影させてくれたら5万円あげると言われ、突然の男色カミングアウトと流れるような男色オファーに驚いた私はまだ童貞なのでそういうのはまだ早いですとわけのわからない回答をした。実にわけのわからない回答だったと見えておじさんも驚いていたのか、気がつけばどうして私に彼女ができないのかといった恋愛相談を男色おじさんとして、確かサバサバしすぎているという評価をもらったと思う。男色おじさんはあって5分の私からサバサバしすぎていることを見抜いたのですごいなと思います。そんなこんなで県庁の道を教えて和やかにお別れをした。和やかといっても心中は寿命の縮む思いだったし、今考えると5万円は安すぎる。男色おじさんは己の市場価値を理解していない男子高校生を買い叩くのをやめてほしい。後日駅のトイレでばったり男色おじさんと再会したときは、しかも男色おじさんが私のことをよく覚えていたので心底驚いた。

息子次第で君も剣豪になれる

バイト先がちょっと高級な飲食店なので、金をいくらか持った人間がやってくる。これは結構有名なことかもしれないけど金をいくらか持った人間は2種類に分類できて、どんな人にでも丁寧で物腰の柔らかい人間か、自分より何かしらの面で劣る人間に高圧的にふるまう人間の2種類で、後者と接するのはいくらそういった人間の言う言葉を聞き流そうと心の中で思っていたとしてもやはりどうにも疲れる。さらにそういう人間に限って酒に酔うとさらにひどくなることが多くて、以前酒にひどく酔った小金持ちにお前は浄土宗なんだから青森に行けと信じられないくらい高圧的で怒気を孕んだ口調で言われた時は本当に腹が立ったし、すぐ手元にあった肉切り包丁が妖しく光ったように見えた。殺意に呼応する肉切り包丁なんて物騒なものを飲食店に置くな。しかしもしあの時肉切り包丁を取っていれば私の偉大な剣豪への道が開かれていたのかもしれないなと思うとワクワクする。それと私は浄土宗じゃなくてクリスチャンです。何度言っても聞かないので実に腹立たしい。

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このブログで使った画像の内訳が刃物×2 裸の男×2 泥団子×1となっているのは興味深い。

 

 

 

何かで聞いた話が混ざりに混ざったような気がするのだけど、古来より剣豪は修行の合間にそこらの山に生えている竹に陰茎をしごいて自慰をしたとかいう話が実に好きで、それが嘘かどうかということはどうでもよくて、無精ひげ生え放題血走った眼の剣豪が竹で己の陰茎をしごいている様を想像すると実に愉快だ。剣豪の自慰はあまりにもストイックで、もはやそれは一般の人間からすれば自慰というよりも修行の一環で、しかしそれが剣豪にとっては快楽なのだから、実に愉快だ。それに剣豪にはちんこなどという生ぬるい単語は似合わなくて、やはり陰茎という言葉のよく似合うこと。陰茎の似合う男になれば剣豪への道のりももう道半ばといったところか。女性剣豪のなり方は私にはわからないので、もしもそのような方がいたら力添えすることができず申し訳ない。

瑕一つなく光る

私の実家では骨壺を傘立てにしている。待ってくれ、もう少しだけ話を聞いてほしい。完全にとち狂った家と思わないでくれ。実家のすぐそばに納骨堂があったのだが、庭で壺を掘り当てた小学校のころは、不思議な色の砂が入っている立派そうな木の壺としか思っていなかった。壺に入っていた不思議な色の砂の正体はあの壺がもし本当に骨壺なのであれば完全にアレなのだが、バカだったのでそんなことは欠片も考えず泥団子の仕上げのコーティングに使った。いい泥団子が仕上がったように記憶している。光る泥団子が流行っていた。実家のそばにある納骨堂がどういうものであるかを理解したときにはもうその壺はすっかり我が家の傘立てとしての存在を確立させていて、それに立派な壺だったので重心もやたらとしっかりしていて、私もまあいいかとそのままにした。納骨堂からどういうわけか飛び出してきて我が家の庭に埋まり、子どもに掘り当てられ、光る泥団子のコーティングに使われてしまった遺骨に対する罪悪感と、納骨堂から骨壺が飛び出すわけはないのであれは骨壺じゃないんじゃないかという疑念は骨壺を見るたびに甦ってきて、多分私があまり帰省したがらないことと骨壺は無関係ではない。

 

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年末は帰省します。